義母が亡くなってから、1年がたとうとしています。 濃い1年だったので、もう2年くらい時間がたったような気がします。 義母の葬儀の日は、絶対泣くまいと決めていました。 彼女にとっては、神様に召される門出の日だったからです。 泣いてしまいそうな時は、違うことを考えるようにしていました。 葬儀は講堂内にて着席で40分ほど、外の墓地で20分ほど、合計1時間ほどのことでした。 強い日差しの美しい墓地で、誰かがドイツ語で何かの朗読が続く中、ハッと気づいたことがあります。 ∑( ꒪ω꒪ ) 「玉砂利の音が、全くない……? そんなバカな……。」 参列者は概算300人以上はいて、幼児もたくさんいたのに、静まり返っていました。 それなのに、下に敷かれた玉砂利の音さえ、全く、聞こえなかったのです。 それはもう恐ろしいほど静かでした。 (゚Д゚;) 「これが、ここの子供たちの実力なのか…。」 初めてそう実感しました。 2、3才程度の子供を多く見かけたため、信じがたい事実でした。 なぜそんなことを1時間も、幼い子供ができるのか、今でも呆然とします。 以前、大震災後に略奪とかが起きなかった時、アメリカ在住アメリカ人の友人が「そんなことある?!世界中が驚いたよ!」ってものすごく驚いていたことを思い出します。私にとってはたぶん同じくらいの驚きだったのですが、ここの子供達は奇跡でもなく想定範囲内らしいです。 どんだけ厳しくしてるんだ?と思ったけれど、小学校の朝礼で整列させるくらいの感覚らしく、そんなことをさせただけでトラウマになるわけないでしょ、みたいな。 感覚の違いのようです。 ちなみに、私の息子はもう3才でしたが、最後まで静かにできませんでした。(´・ω・`) ずっと静かにしていたけれど終わりの頃にはもう抱っこも嫌がって、座り込んで足元の石をいじり始めてしまって、そんなことをしている子供はいなくて、とても慌てました。 これは推測ですが、もう2、3才なら、もしも騒げばそこにいる300人から、ナマハゲのような勢いで叱られることを、もう知っていたのかもしれません。息子はまだこちらに来てから経験が浅かったので、最後は疲れに負けて無理だったんだと思います。 この辺りの人達の子供を叱る場面は、大人の私も腰をぬかしそうな、ものすごい迫力です。 大きな風船が突然バン!と破裂するようなショックな感じ?うまく文章表現できません。 逆に言うと、私が東京で見たような叱る姿はまず、ここでは叱っているうちに入らないのです。 いや、どうもすみません。 「私はちゃんと叱ってますよ!」って怒られそうですけど、できればどうか、ムッとしないでください。 個人や日本文化を攻撃してるわけじゃなくて、文化の違いを書いているだけです。 2、3才児を1時間静かに参列させられる位なら、確かにここでも十分だと思います。 あんな破裂音みたいなナマハゲ級の恐怖感、少なくとも私の小さな経験範囲では、東京で感じた事はないですが、そういう厳格な人もゼロではないかもしれません。 私は未だにできなくて「優しすぎる」と、ご老人たちから注意されていますが、もしそのくらい叱ることができるなら尊敬します。 (余談ですが、ここでは叱るだけではなく、ちゃんと温かいバランスができています。) ここで暮らしていなければ、全員がナマハゲになる必要はないんですが、私のブログは個人の暮らしの範囲で思ったことを個人の感想レベルで書いています。また、内容の正確性は保証しません。 私の国際結婚の暮らしって、興味をもたれることはあっても、「共感」を感じてもらえることは少ないです。子育て話なんて特に、ほとんど皆無です。 でも、同じじゃないから、それでいいんです。 だから書いてるんです。 私はウィーンやミュンヘンご在住の方々のブログやコラムを読んでも、都会はそんなに違うのかと驚きっぱなしで、私もウィーンやミュンヘンの暮らしを想像することができないので、恐らく、このあたりの村に来たこともない方がする想像なんて、ここでの暮らしは必ず想像をこえているはずです。 うっかりすると死んじゃうような場所もあります。 3才児に普通の果物ナイフ渡して、果物とか切らせてたり、私ですら未だに驚きっぱなしなんですから。 同じような立場の人がいないから、仕方ないんです。 ドイツ、オーストリアの2カ国を行き来して暮らしている人も少ないと思います。 わかってもらえないのを承知で、このブログを書いています。 日本にいた時は、ベネッセの教材を2年くらい利用していたので、親向けの付属冊子でベネッセが推奨するいろいろな育児方法を読んだり、「日本では日本のやり方で」と人から「褒める育児本」を渡されたりしたので、夫婦でひとつひとつどうするか話し合って、自分たちの子育ての方針を決めてきました。 でも私の息子は、半分外国人なんです。しかもマイナーな地域の。 自分ひとりの子供ではないし、参考にできる前例はないんです。 違う文化同士の子供だから、間をとるとかじゃなく、日本人でありオーストリア人でもある私たち息子にとって何が一番良いと思えるか、話し合いました。 外国人にとって良いことが、日本社会で良いこととは限らないので、私たち夫婦の方針と誰かが全然違っても仕方のないことです。逆に、外国人に理解されなくても、日本流を貫くこともあります。 それも仕方のないことです。 外国人の我が夫からすると「どうして子供がレストランでぐるぐる走ってるの?!どうして誰も叱らないの?」となるわけで、その間に立つ私としては、双方に譲歩してもらうことがとても大変でした。 外国語でわあわあ言ってる外人になんて、東京では誰も直接文句なんて言いませんが、でももし知り合いがダンナ君に不満があれば、直接は言わなくても、必ず後から私に苦情やお叱りがきます。 外国に住む(旦那の場合は日本)ってこと、文化の違い、国際結婚ってことは、そういうことです。 中間管理職のように私もがんばってきたつもりですが、結局は何を言っても「嫌なら日本に住まなきゃいいでしょう?」ということになるので、今はこういうカタチで落ち着いています。 東京の子育て家庭を全て見学して書いているのでもなく、個人ブログなんて、個人的な範囲での勝手な感想です。違う意見が出るのは、とても自然なことで、健全なことです。各個人の経験と感覚の違いです。
前回のブログ記事は、池にボチャンと石を投げ込むようなことを一度自らやってみたかったのです。 変な親が増えているのは、私のつながりのある人達だけに次々に起こった特異な話だったのかもしれません。それは運が悪かったからなのか、気の毒なことです。良識ある親がいて、変な親がいない学校や街がまだあるようで、それは良かったです。 店内を走り回ってるのを許すのも、ここでは善悪がわかってないモンスターペアレンツ枠なんで、私にはどっちの例でもよかったんですけど、刺激的なほうでまとめてみました。体がまた悪化してるので、書いてみたいことは今のうちに書いておこうと思って。 私も遅ればせながら成長しまして、賛否両論の大切さがわかったので、どんなコメントでもOKです。 いや、賛が無くて、否だけの片論でもいいんです。 個人の意見なんだから、どちらでもいいんです。
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チロル州の、ばあさま達に聞いてみたことがあります。 (´・ω・`) 「日本では、子供達にダメと言わない育児が人気あるんです。 叱らないで、何をしても全部ほめるやり方なんです。」 皆がどう反応するのか興味があって、どう思うか聞いてみました。 すると、 全員が、悲しそうに言いました。 「それじゃあ、いったい誰が、 何が悪いことなのか、こどもに教えてあげられるの?」 その子供の人生に、 基準が確立されないことを心配しているようでした。 おばあさん達の言葉でふと思いついて 私は言いました。 (´・ω・`) 「学校で人の物を隠す子供がいて、その親に注意をしたら、 "隠されるほうが悪い。"と言っていた、という実話を、友人から聞きました。 先生に、"うちは褒める育児をしてるんで、先生も褒めてあげてくださいね"、と。 もしかすると、教えてあげる立場の親も、 何が悪いことなのか、わからなくなっているのかもしれません。」 おばあさん達は、それはそうなるはずよ、と悲しそうに ただただ、首を横に振っていました。 最初は、 「自分の子供は常に悪くなくて、常に他が悪い」と主張する親は、 特殊な例かと思っていたのですが、 友達が遭遇する実例を聞くにつれて、 最近の日本ではあまり珍しいことでもない気がしています。 もしかすると、 幼児の頃からずっと善悪ひっくり返してでも全て褒めることを、 大人は長い期間、肯定して言い続けることで、 「常に他者が悪い」という洗脳を自分にしてしまうのかもしれない、 それで大人も善悪がわからなくなるのかもしれない、と仮説を立ててみて、 褒める育児をしている人数の多さにちょっと怖くなりました。 外国のおばあさん達にとっては遠い国の事のことで、 恐らくすぐに忘れるだろうし、どう思ってくれてもいいのですが、 私にとって、善悪を子供に教えないことは悲しいことです。 友達に意地悪しても、それを親がほめるなら、 その基準はきっと子供の人生を左右するだろうからです。 誰がどういう方針だろうとも、 息子が友達に意地悪したら、私は叱ります。 まず第一に、私たち大人がしっかりしなくては。 自分がいつの間にかブレないように気をつけなくては。 何度もそう思いました。 普段なら「まあいいか」と流して、子供に注意していなかったこと。 親がその時ちょうどイライラしていたからと急に許せなくなって、気持ちが爆発して急に子供を叱ることは、我が家で厳禁です。 厳厳禁禁、って造語を作りたくなるくらいの、第一級厳禁。(笑) 親の気分で叱られるなら、たぶん子供はルール自体を信じなくなり、親の機嫌に気を向けると思います。 「大人の顔色を伺う」ってやつです。 誰かの気分で、ルールがころころと変わるのは、大人同士だって困ります。 機嫌の悪い上司、仕事からムカムカ帰ってきたご主人、イライラしている奥さん、お姑さん、etc、みんなが相手の気分に振り回されて、普段は何も言われてないことを自分が急にとばっちりで叱られたら、常に相手の顔色を伺うようになると思います。 そんなことは、子供にはもちろん、大人同士、夫婦同士も、本来よくないことなんです。 「わかってる!わかってるよ! よくないことだと知ってても、ついついやっちゃう時もあるのよ!」ヽ(;´Д`)ノ ダンナくんにイライラを飛び火させてた私も、何度、ダンナくんにそう言ったか。 でも、これは夫婦間で少しずつ、変えることができました。 私の場合は、旦那が外国人なんで、そういうことをすると即、指摘されたからです。 (-`Д´-) 「なにこれ!困るからやめて!」 (・⊆・) 「……僕は初めて聞きました。君は初めて言いました。今どうして怒りますか?」 Σ(-`Д´-;) 「え!…前から気になってたこと、今、我慢できなくなったからよ!」 (・⊆・) 「え?……なぜ我慢しますか?僕は知りませんでした。 言わなければ、僕は直らないです。早く言うほうがいいです。なぜ言わなかった?」 (-`Д´-;) 「……じゃあ、次は最初から言うよ!これももうやらないで!」 (・⊆・) 「はい。わかりました。」 この繰り返しです。 ダンナくんは直すから、「普段、まあいいかと流す」ことも、無くなっていきました。 もともと私はケロッとズケズケ言っちゃうタイプで、全く溜め込まないほうだと自負していましたが、外国人からしてみたら相当のサムライでした。 私でこれなら、普通の日本人なら恐ろしいほど毎日の我慢を溜め込んでいる気がします。 国際結婚で文化背景が違いますから「え?こんなことが気になるの?」ということはお互いありますが、少しずつお互いの希望に合わせて直していきました。 人生の伴侶は、一番大切な味方です。 直すことが難しい苦手事項が相手にあっても、変わる手助けをしたり、提案をします。 逆に、助けてもらいながら徐々に自分を変えていくこともあります。 助けたり、助けられたり。 それが私たち夫婦です。 私たちは相手が理解できる言葉があまりにも不自由だった時期があるので、「行動すること」自体が言葉のない会話だったりもします。 今では家庭内の会話程度ならずいぶん楽になりましたが、そういう背景があります。 相手を大切にする行動で、「あなたを大切に思っている」と、会話しているのです。 そんなわけで、自分が別のことでイライラしていても、ダンナくんに飛び火させることもなくなりました。 八つ当たりすると、ダンナくんが困るからです。 ダンナくんに繰り返し根気よく冷静に指摘されたことで、相手に言われる前に「あ、これ、前もって言ってなかったな…。(´・ω・`)」と自分で気がつけるようになりました。 以前注意してなかったことは、自分がもう既にOKと、相手に認めてたことです。 その時点まで気がついてなかっただけなら、いきなり文句で始まるのではなく、話し合ってルールをその時から追加させてもらいます。 大切でもついつい厳しくあたりがちな大人(旦那君ww)に対してできるようになると、子供に対してごく普通にできます。「あ、言ってなかったな、じゃあ仕方ないな。」と。 夫婦でそのルールを確立すると、その後がとても楽になります。 私の場合は、他の人にも冷静になりやすくなりました。 仮に、気分屋の上司やお姑さんが自分にいたとして、「普段そんなこと言ってませんでしたよね?(´∀`)」と無邪気に指摘するのは空想だけでも恐ろしいけれど、夫婦間でなら良い練習になると思います。 私たちの家庭内のルールは、とてもシンプルです。
交通ルールの「赤信号は渡らない」「ここは右折禁止」などのように、ハッキリ決まっています。 ルールが常に一定だと、自分も子供も守りやすいし、守らせやすいんです。 例えばもしも、警官が「今日は厳しく取り締まりすぎちゃったな…(´・ω・`)」と落ち込んでたり、青信号を渡ってても逮捕する警官がいたり、後から警官が「あの時はイライラしてて逮捕したけど、厳しすぎたね、ごめんね。」と謝ってきたら、ものすごく怖い国です。 そんな国に住んでいたとしたら、警官を見かけただけで避けたくなると思います。 ヤウゼ(お茶会)で「うちの旦那のこんなところが嫌」とか、愚痴を言う人はいません。 そんな会話、全く意味がないです。 みんな旦那に直接言って解決してるんだと思います。 愚痴に近いものは、政治の話くらいですかね。 たぶん、直接対決できないから。(笑) 「今日は叱りすぎちゃった…」「厳しすぎた…」などと、落ち込むママもいません。 いつも通りに、いつもだけ叱れば、落ち込む必要はないんです。 子供とのルールは、常に一定に。 夫婦間のルールも、常に一定に。 家族全員が、誰かの顔色を伺うことがなく、誰かが我慢もせず、みんなリラックスして暮らしています。 |
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AuthorAlpenHausfrau Heidi ■免責事項 当サイトに掲載された記事情報及び意見や見解は、個人の感想レベルであり、その内容について何ら保証しません。情報の間違いなどに対して一切の責任を負いませんのでご了承下さい。 Archives
7 月 2020
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