初めて誰かに「自分の文章が好かれた」と思ったのは、高校の時の読書感想文。 それは教科書に載っていた短編物語の感想を書く宿題で、思ったことをそのまま書いただけだったのに、びっくりするくらい高い評価を国語の先生がつけてくれた。 なんとなく書いて作文の定石は意識しなかったから、「どうしてこんな評価を受けたんだろう?先生は何を思ったんだろう?」そんなことを不思議に思った。 二度目は、高校の体育大会で。 教育実習の先生が遊びに来ていて、なぜか私のことを覚えていた。私は決して目立つ生徒じゃない。それで理由を聞いてみた。先生の実習が終わった時にクラスのみんなで書いて渡したお別れメッセージで、私のが一番印象に残ったからだと言っていた。時間がたっていて私は先生に何を書いたか全く覚えていなかったけど、先生が嬉しそうだったから、私も微笑んでお礼を言った。 三度目は、大学受験。
第一志望の学科の国語は、たしか配点が現代文が50点、小論文が50点だったのだけど、私はほぼ満点だった。合格後に事務局で点数を聞いて、手が震えた。なんでこんな点数がついてるんだ。 二次試験の実技試験のほうが配点が高いから学科だけでは受からないのだけど、一次試験は学科で、そこで受験者半数が足切りされた。 全くダメな英語をカバーできるほど点をくれた小論のおかげで合格できたと、いっても過言ではなかった。人生が左右されたので、採点してくれた人に足を向けて寝られない。けど、どこに住んでいる誰なのかも知らない。 そういえば私、どんな小論を書いたんだっけ…?そんなことほとんど忘れてしまった。 たしか当時倍率が20倍くらいあったから、「これをひとつひとつ読んで採点する人、こりゃ大変だな…。」と思って、一番最初の出だしでウケを狙ったと思う。ずっと採点して疲れてる中で「なぬ?」って、ちょっと楽しんでほしかった。 そこで、ハッとした。 そうだ、たしか私、勝手に「家族」をテーマに書いたんだ。 小論のテーマが何だったか忘れたけど、「○○とは、家族のようなものだ。」みたいなことを書いた気がする。そうだ、それで小論のテーマを勝手にすりかえたみたいにして「なぬ?」って思わせた(はず)って気がする。何でわざわざ家族の話で書いたのか忘れたけど、たぶんそうだった。 採点者の人に「今も、家族のこと、書き続けてますよ。」と教えてあげたくなった。 そして最後は、 売れっ子デザイナーの先輩。 学生の頃から憧れていた先輩が、私の日記的な文章を読んで「いい!すごくいい!ずっと書き続けたほうがいいよ!」って興奮しながら言ってくれたことがあった。 その時は「あれ?デザインのほうは?」って思ったんだけど、それならじゃあ書き続けようかなと思いつつ、文章を書き続ける機会がなくて、そのまますっかり忘れていた。 そうして月日は流れて、私は何もかもすっかり忘れて、知らない人は誰も読まないだろうと思って始めたブログ。 方程式みたいなプロの文章力は全然ないけれど、それでも誰かに、良くも悪くも何かがひっかかっるらしい。それは理想的だ。コツコツ書き続けてきてよかった。 もう名前も忘れてしまった国語の先生、同じく教育実習生、採点者、先輩まで、全員なにもかも忘れてるだろうけど「書き続けてますよ」って、ちょっと伝えてみたい。 そして、昔の自分が書いたものを、今読み返せるものなら読んでみたいって思う。 今の私なら、それらも何か心に残るだろうか。 今日これを書いたのは、昔誰かに自分が褒められたことを自慢したかったわけじゃない。何かに受賞したわけでもなく、その道の大家に認められたわけでもない。 「思って書いたことが誰かの心に残った。 そして私は、今でも思った事を書き続けている。」 それをその4人と未来の私に向かって、小瓶につめて海に流したような気持ち。 空に向かって、手紙のついた風船を飛ばしたような気持ち。 いつかまた、私はこの文章を読み返す。
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