ぴっちりで隙がないものよりも、隙しかないゆるいものが好き。 カッチリとした現代的なビルディングよりも、そこらへんの石ころが好き。 あんまり身についてないけど基礎と王道のアカデミックな学習は一応したし、西洋文化の現場で実際に本物を見ることはとても勉強になるけれど、結局わたしは西洋でも東洋でも多くの人があんまり見向きもしないようなものに相変わらず目を奪われています。 入力と出力は等しく、私の絵も文章も相変わらず石ころみたいだけれど、「この石ころより、こっちの石ころのほうがかわいい。」みたいな感じで、毎日ちまちまと落書きみたいな絵を描いたりしています。いい感じの石ころって難しい。 学んだことが結局何にも活かされてない感じで、小学生の時に描いていた絵からそのまま今に至ってるような私だけど、「学校の勉強なんて無駄だった!」とは思わないです。 学生の頃は、巨匠の作品とか教科書的なことが古臭く思えて興味がなくて、現代アートのほうが新鮮で刺激的で好きだったけれど、そうやって疎かにした西洋美術史等々の科目をもっと勉強しておけば、今頃もっとステキな石ころが拾えたんじゃないかな?などと思います。もちろん現代アートを自主的に学んだことも良かったので、その石ころは少し拾えているかもしれません。 そうしてぐるっと一周して大人になって、改めて自由に勉強ができてうれしい。 語学学習は全然うれしくないから、二の次、三の次だけど。 好きなものを見られて、好きなものが作れてうれしい。 心の中で握りしめたものは、みんなが見過ごす何でもない物。 つくるものも何でもない物で、どこにでも普通に、そこらへんに転がってそうな物。 ただただつくってるだけで自分が楽しくなっちゃう物。自分で笑っちゃう物。 そして、それを見つけてくれた他の誰かも、思わず笑っちゃう物。 どこかの誰かが笑顔になるところを想像するだけで楽しい。 絵を描くことが一番好きだけど、絵じゃなくてもいいんだ。 そんな何かをずっと作りたいんだ。 (●´∪`●) チロル州のみんなに作ってあげたくて、日本から遥々持参した南部鉄器。
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