オーストリア、チロル州。 道端では9月頃から、無人販売のカボチャが 玉垣のように大量に積まれています。 飾り用の小さいのから、 大きいものまで、種類もいろいろ。 「ここにお金を入れて下さい。」のドラム缶は、 あの玉垣からすると、なかなかの金額になるはずで、 それごと持っていかれそうに見えます。 でも大丈夫らしく、毎年同じ場所で、 無人でカボチャが売られています。 のんびりとした場所で、のんきに暮らして、 気がついたら前回の更新から一ヶ月以上たってました。 あ、もう、一ヶ月たってる。 なんで一ヶ月たったことに やっと気がついたかというと 月がほぼ、満月だからです。 (´∀`)は? 部屋の窓から人工的な光は、全く何も見えなくて、 昔の人が詠んだ「ぬばたまの夜」とは こんな夜だったのではないかというほどの暗闇で だからこそ、月の光が良く見えるのですが 満月、もしくはその前後ともなると、想像以上に光がかなり強くて、 絵本のように窓の形がくっきりと床に映ります。 その影に毎月必ず、ハッと気がつかされます。 ああ、この光はきっと、満月だ。 思わず窓にかけよって空を見上げると、 いつも美しい月が、漆黒の景色の中で燦然と輝いています。 ベッドにまでさした月光があまりにも眩しくて 寝ていたのに目が覚めたこともあります。 それぐらい、強い光。 「ぬばたまの夜渡る月の隠らく惜しも」 ああ、やっと理解できた気がする。 静かな森の上で強く輝く キラキラと光る美しい月が、暗闇の中を渡っていく。 まわりの雲がくっきりと見えるほど、キラキラと。 真夜中の太陽、とでもいうような感じで。 ドビュッシーもきっと、 こんな夜に、あの曲を書いたに違いない。 パジャマ姿の息子を抱っこしながら一緒に眺めていると あまりにも強い光を見て「でんき!ママ、月が電気です!」と息子がいつも言います。 その度に、「そうだね、電気みたいだね。」と 二人でたわいもない話をして、息子はベッドに行きます。 そんなたわいもない幸せ。 辛い事が続くと忘れがちだけど、 ゆっくり暮らすことで、またわかるようになります。 わからなくなるのは、たぶん、忙しいからです。 忙しくて体制が立て直せなくて、悪循環になって、辛い事が続いて、 幸せがわからなくなっていくんだと思います。今思うと。 毎日のんびり過ごしたおかげなのか、 和食をよく食べるようになったからか、 ずいぶん体も健康になって、息子が学校から風邪をもらってきても 「私も風邪っぽいから早く寝よう」程度で太刀打ちできることがほとんどです。 夏に息子の自転車の練習をした時、 小さい自転車なのに、ずいぶん速くこぐんだなーと思っていたら、 実は単に、私の体力が激しく落ちていただけでした。 それからまた月日も流れて、たくさん休んで ずいぶんいろんなことが、全方面で良くなりました。 ドイツの水にも、体が慣れたのか、 それとも全体的にストレスがなくなったからなのか、 普通に湯船にも浸かれるようになりました。 自分の体を騙し騙し使うよりも、 一度たくさん休んだほうがいいみたいです。 それと、体に良い食事。 そんなこと、わかっていても、 なかなかそれができないのが「大人」なわけですが、 あえて大人がそれをすると、無理難題を突破したご褒美なのか 良いことが良いことを呼ぶようです。 長い長い休みが終わったような気持ちです。 このブログも、新たに次の章が始まるような感覚。 更新がない時もアクセスしてくださった方々、 ありがとうございました。 私はこの月の光と、道端にカボチャがある暮らしを これからものんびり楽しんでいきます。 ただいま!
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AuthorAlpenHausfrau Heidi ■免責事項 当サイトに掲載された記事情報及び意見や見解は、個人の感想レベルであり、その内容について何ら保証しません。情報の間違いなどに対して一切の責任を負いませんのでご了承下さい。 Archives
7月 2024
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