ドイツとオーストリア、それぞれの村の地元ルールをほとんど知らない頃、ハッキリと叱られることもよくありました。 見知らぬおばあさんに激しく怒鳴られたことも、今のところ1回だけあります。 エピソード 既出記事 (アメブロ版のみ。 2013年4月23日更新) ドイツの幼稚園に入園して それは、息子がまだ3才だった頃。 レストランのトイレ個室内で、油断して、息子が大声で騒いだら、知らないおばあさんにドア越しから激しく怒鳴られて、その激しさがあまりにもショックで、腰が抜けそうになりました。(笑) それで個室から出た後、正式に(?)、面と向かってまた怒鳴られました。 あの鬼のような形相を今でも忘れられません。(;´Д`)=з (息子本人は、もう完全に忘れたようです…。笑) ちなみに 横にいる母親(私)のことは完全ド無視で、 幼い息子だけが一方的に叱られました。 (;;-;ω;-:;) 最初、私の子供の世話が行き届かないことで、 うるさくて迷惑をかけたんだと思って、 慌てて「ごめんなさい」って ドイツ語で私が謝ったのですが、 「お前じゃないよ!!ハァ?!(`▼Д▼)」 みたいな感じでした。 後でダンナくんにその出来事を話して、 推測で解説してもらったのですが 「小さい子が悪い事をしたら、すぐに直接叱らないと、 小さい子は何の理由で叱られたのか理解できないです。 親に文句を言っても、意味がありません。 子供が悪いことしましたから、子供を叱ります。」 というのが、この辺りの地域の共通認識らしいです。 ( ꒪ω꒪ ) 犬? 時間が少したったり、間接的だと、 小さい子供は何を叱られたのかわからないから、叱る意味がない、と。 だから、見つけたら即座に その子と1対1で、全力で叱るみたいです。 親も叱る必要がある、と判断されたら 順番として、子供を叱った後に、親が叱られるようです。 私たちがルール違反をしたら、 幼児に対するのと同じくらいのテンションでガッチリ叱られます。 そんなわけで、ドイツ語が母国語であるダンナくんがいる時さえも、一緒にいる親を完全無視して、ここのご老人たちは全く躊躇することなく、子供を直接叱ってきます。 たぶん、彼らは、それが一番いいことだと思ってるんです。 ただしそれは「他人のガキも、私が懲らしめる!」という雰囲気ではなく、血がつながってる孫を祖母が叱ってるような印象があります。 村社会だからなのか、見かける子供たち全員が、他人事じゃないようです。 地域社会が全員参加で子育てしているようで、その目の数の分だけ、犯罪やいじめに合う確率が減っているような気がします。きっと、悪さする問題児がいたら、四方八方の家族に伝わるだろうし、早期にものすごく叱られるはずです。 子供も大人も、親も先生も、皆が繋がって、親子3代レベルでお互いの家族を知っていて、信頼関係ができているというのは、都会では考えられない貴重なものだと思います。 息子を叱った人たちも、もしかすると私が外国人の顔の見分けがつかないだけで、相手は目立つアジア系の私たちを知っていた、ということも大いに考えられます。 叱られるのって、実は、本当にありがたいことです。 なぜなら、それは、叱る側から信頼されていることでもあると思います。 もし東京で、見知らぬ子供を叱るとしたら、相手の親がどんな人かわからないし、私はちょっと怖いです。 親を知っていても、トラブルが怖ければ、叱れません。 ましてや、私はここでは異文化のアジア人です。それでも観光客みたいに部外者として無視されずに、仲間として息子が叱ってもらえるのは、ありがたいことです。 それと。 たぶん、人間関係が希薄な地域ほど、解決手段が「通報」になると思います。 痛ましい事件後などにTVで近所の人が言う「通報すればよかった」という言葉と、「声をかければよかった」という言葉の違い、そこから察する人間関係の違いは、思わずゾクッとするほどの差です。家の近さと、心の近さは、完全に別ものだなと。 私は東京や他都市で「声をかければよかった」と言えるかどうか…。アメリカなら下手すると撃たれそうだし訴訟されそうで怖すぎる。そんなことを空想します。(´・ω・`) そう思うから、「声をかけてくれてありがとう」です。 この辺りのドイツのレストランで、もしも日本みたいに、見知らぬ子供がぐるぐる店内を走ってたら、すぐ警察に通報されるかもしれない、と聞きました。 「 走ってる = 親が不在 」と解釈されて。 ドイツ警察なんて浦沢直樹の漫画の世界で、それこそ腰が抜けそうです。笑 人によっては「叱られずに、自由にのびのびと子育てしたい。」と思う人もいるかもしれませんが、自由の数に比例して、別の自由とのトラブルも多くなる気がします。 法には触れなくても、個人の自由と自由、権利と権利が、当然の主張だからと全員がぶつかれば、あとは訴訟・裁判です。 自由がある場所には、問題が多い人にも自由があるし、そういう地域ではトラブルを避けることにお金をかけるか、もしくはいっそ、人里離れるしかないのかもしれません。 田舎と都会、それぞれ長所と短所があって、全世界の田舎と都会の善し悪しを知りつくしたわけじゃありませんが、この辺りの村で小学校低学年くらいの子たちが、子供たちだけで公園で遊んでいる姿を見たり、微笑ましい喧嘩を見たり、遊具がたくさんあったりで、しみじみ平和だなぁ〜って思います。
東京の良さも知っていて、自由と安全のバランスの好みは人それぞれですが、今の私たちにはここが一番楽です。叱られる社会でよかったです。 (注:ドイツ、オーストリア、それぞれの暮らしの出来事や感想が混じった記事になってます。)
1 コメント
息子はもう4才なので、通常、一度言えばすぐに行動することができます。 それは公共の場で、見知らぬ人から突然叱られて息子がびっくりしないように、 それなら母親である私が先に言って直させようと、特に心がけていたからかもしれません。 でもこの辺りの人達からすると、そういうことではなく、 そもそも、「何度も言う必要なんてないでしょう?」ということらしいです。 日本の漫画やドラマなどでも一般的に出てくるシーンで、 ママがついにブチ切れて 「もう!あんたたち、いいかげんにしなさい!」 と怒鳴ると、やっと子供達が急いで部屋を飛び出す、 みたいな状況を チロル州の家庭的に解釈すると、 「いいかげんにしなさい!」と言われるまで、 子供たちは命令に従わなくていい。 というルールです。 「脱ぎっぱなしの服、片付けて」 「もうゲームはおしまいにしなさい。」 「テレビ消しなさい。」,etc 叱らずに自主性を大事にするとやらのメソッドで 「これをやってくれると、ママはうれしいなー」 などとやんわりと始めて、いろいろ何度もずーっと語りかけても それがデパートの館内アナウンス程度にしか思わない子供には 「何回、言わせればわかるの!」が命令の起動ボタンです。 「子供はそう言われるまで、やらなくていいいのが、その家のルール。」 と、ここでは解釈されます。 子供はやる必要がないから、やらないだけ、と。 そんなルールは、 時間を大切にしているこの辺りの人達からすると Σ(°⊆°) 「え? それ、1回で済むようにしたらいいのに、なぜそんなルールにしたの?」 ということになります。 時間がもったいないでしょう?、と。 あー、やっと書けたー。 これを説明したいが為に、背景の文化として出来るだけわかりやすいように、彼らが時間を大切にしている話を先日書いたようなもんです。 当ブログ既出記事:2013/04/26 時間の使い方@チロル州。時間は物よりもお金よりも大切だってこと。 おかしなルールも、時間の無駄遣いらしいです。 実際、1回言えば済むようになると、時間と心の余裕を生んで、 結局それが次の余裕ある行動につながって、子供にも恩恵が循環するように思います。 でも ・゚・(*ノД`*)・゚・。 「そりゃあ、1回言って済めばいいでしょうよ! でも現実は、子供はちっとも私の言うことなんて聞かないのよ!」 などと、思う方もいらっしゃるはずです。 というのも、きっと私は絶対そっちになっていたはずだからです。(n‘∀‘)η゚ なぜなら、 「一度言えば、子供は親の言うことに従う」ってことを知らなかったから。 自分の甘々な子供時代を振り返って考えると、私も 「いいかげんにしなさい!」って怒られて動いたタイプでした。 うまくいくと、そのまま諦めてくれたり、 ←ヒドイ子供 「まったく、もう!」とかブツクサ言いながら 母親が全部片付けてくれたりしてたことをまだ覚えています。(ノω・、)ごめんよママン。 そういうのって、子供の頭に無意識でそれらが刷り込まれて、 大人になってから、自分も引き継ぐっぽいです。 自分と親がそうしてたから、自分が大人になってから子供にも 「いいかげんにしなさい!」って怒ったり、 「まったく、もう!」とか言いながら、片付けをしてあげるようです。 これが普通の子育てだろう、って。 私は普通じゃない世界へ急に来てしまったので、 強制的にそのスパイラルから抜けさせられましたが、考えてみれば不思議な習慣です。 で、どうしたら1度で動かせるようになるかというと、 たぶん、1回目から最終通告の気迫で、言うことです。 怒鳴るんじゃなく、気迫で。 こういうのは幼い頃からの積み重ねだと思うんで、 大きくなってから急にすると難しそうですが、1回目で警告、2回目でもう退場にしちゃうとか? ちなみに、怒鳴る必要もなければ、もちろん叩く必要もないです。 協力してくれない子供には、大人も協力してあげないだけです。 (うちの場合は、いつも寝る前に本を読んであげるのを、その日はしてあげない、とか。) もちろん、ここは日本じゃないし、周りは田舎の外国人ばかりだし、子供の個性や感受性はそれぞれだし、全員がうちと同じことをする必要は無いです。
子供の個性や社会環境や家族構成などに合わせて、一人一人、丁寧にカスタマイズすることが大切だと思います。 昔の私はこういうことを全く知らなかったし、子供の将来も考えると、「何回言えばわかるのスパイラル」を今のうちに変えておくほうがいいんじゃないかなーと思ったんで、海外にある1つのスタイルとして、ここに書き留めておくことにしました。 子供が協力してくれるとものすごく助かるんで、大人は時間の無駄遣いもせず、イライラもしないでゆっくりできる時間が増えて、子供もみんなお互い楽しいひとときになってる気がします。 いつも日・独・米の日時をパソコンで見ている為、部屋のカレンダーは2012年12月のままでぶらさがっていることに、やっと4月で気がつきました。 そんな自分に苦笑しながらカレンダーを外して捨てみたものの、今年のは買ってなかったし、壁にかける必要はやっぱりないので、しばらく何もない壁でいたところ、ユーマが怒りだしました。 (´・ω・`) 「どうしてカレンダー捨てましたか!」 えー。 (-x-;) だって、2012年は終わったし。という理屈は幼児には通じません。 ヽ(〃'∇'〃)ノ 「ユマが、カレンダー描きます!」 そう言って、いらない紙の裏に描き始めました。 裏紙だと、写真で元の文書が透けて見えちゃうから、お絵描き帳の白い紙に描いてほしい…というママの思惑は叶わず、全て裏紙に描かれてしまいました。 だいたい、こんな感じでした。
四角で囲った枠線の中に、トラクターや、トナカイの絵があって、下には数字がランダムに描かれてありました。 イラストのモチーフが外国的…。 痛い時に「Ouch!」と言うだけはあるな…などと思いました。(笑) この部屋のカレンダーは、永年これに決定。(*Ü*) |
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AuthorAlpenHausfrau Heidi ■免責事項 当サイトに掲載された記事情報及び意見や見解は、個人の感想レベルであり、その内容について何ら保証しません。情報の間違いなどに対して一切の責任を負いませんのでご了承下さい。 Archives
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