(前回の続き) 「あの街に、ハイジが好きそうなお店があるのよ。知ってる?」 体を壊して思うようにならず、心身が疲れ果てて、 もう気持ちから負けて「最後の一葉」状態だった私を、 恐らく元気づけようと、某さんがそのお店に連れていってくれました。 わぁ…!なんだ、ここ! (°Д°;≡°Д°;) 店内はこの辺りの土地らしくない、個性的な内装やインテリアで、不思議なものばかり。 ここも古そうな建物でしたが、あの童話のようなお店とは全く違う路線で、 東京にあってもおかしくないオシャレ感!しかも本物!ヨーロッパ!みたいな感じで、 このお店をすぐに大好きになってしまいました。 店内の本棚には、たくさんの画集や美術雑誌。 そしてなぜかたくさんある………見本帳?? 店員さんに聞いてみると、オーナーの本業は某クリエイティブ職。 なるほどそれでと納得しつつ、むさぼるように知識を吸収。 ああ、こんな場所があったなんて! 楽しいよぅ! (つд`。)・。ゲホゲホ いつの間にか店内いっぱいになった常連のお客さんたちも、 当然、それぞれ何かを創り出す人たちでした。 田舎で数少ないこの貴重な場所に 四方八方からみんなが集まるらしい人気店でした。 彼らと少し話して、私も物作りの人間だということがわかって、 「日本のアーティスト」として、この新しく知ったコミュニティーに認識され、歓迎されました。 場所や人が変われば、価値も変わります。 彼らにとって、私の路線は「アート」らしいです。(笑) アーティストだなんて、気恥ずかしいというか、 「商業デザインなんかアートじゃない」という純粋芸術の人にぶっ飛ばされそうですが、 自分の作品の理想を他人の評価に委ねるくらいなら、自分で自分をぶっ飛ばしたくなります。 他人は他人。 そんな肩書きやカテゴリーなんて、どうでもいい。 私はもう、自分が追い求めているものを目指して、ただただ作り続けるだけです。 (今、書いてて急に思い出したんですけど、いつぞやのXさんご夫婦とはすでに仲直りしてます。ご心配おかけしました。 時間がたってから思い直して、私が悪かったと謝ったんですけど、それでお互い謝って、一件落着しました。余談まで。) そうして、このお店に大感激している私を見て ここへ連れて来てくれた某さんがうれしそうに 実はこの店内の一部スペースは 月単位で借りられるんだよってことを教えてくれました。 お店の人も「アーティストは大歓迎よ!」と言ってくれました。 大歓迎されるなら、その肩書きもやぶさかではありません。むふー。 (・∀・)え?なぜ上から目線? 何この全てが揃いすぎてる幸運は!と、思わずガクガク震えました。 こんなステキなお店で「気軽にお試し店舗ごっこ」みたいな、大きなチャンスです。 それでもしも、良い結果を出せれば、本格的なお店に向けて、 論理的にみんなを説得できるかもしれません。 しかも、オーナーも来店者も、ある意味、一般客ではありません。 もしかして、思わぬ次の扉が開くかもしれません。 全てが揃いすぎている幸運に突然包まれて、夢がふくらみました。 その日から、思案が始まりました。 どうすればリスクを少なく、資金もなるべくかけずに合理的に、全てが成り立つのか。 体はまだ全快せず、また悪くなったりでしたが、 頭の中は、自由です。 この難しいパズルを解くことに夢中になりました。 最後は指くらいしか動かせなかった義母が、それでも心が満ち足りていたことを、 その自由をほんの少しだけ、わかったような気がしました。 実行してみなければ絵に描いた餅でしたが、ついに正解らしきものをはじき出し、
希望があふれてきました。 「アイディアだけじゃなくて、本当にやってみよう!」 もし、もしも、それらがうまくいって、安定した定期収入の基盤が将来できるなら、 ずっとここに暮らし続けられるかもしれない。 息子をドイツの学校に通わせ続けられるかもしれない。 回想している今思えば、 それら希望は、私にとって餅どころではなく、 それこそ絵で描かれた最後の一葉でした。 きっとできるよ、きっとこれで全て、全部うまくいくんだ! 体が少しずつ回復すると共に、 必要な物を揃えるため各所へ連絡をとったり、 友人たちからアドバイスをもらったりしました。 その時間をつくるために、他の嫌なことの時間を削っていったりしました。 少しずつ少しずつ、準備をしていくこと自体がもう、楽しかったです。 だって、きっと、やっと、うまくいくんだもの。 壊れかけの体から、どんどん溢れ出す希望。 そう、今思えば、 そのお店が突然閉店することも知らずに。 (つづく)
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(前回の続き) まずは、旦那くんや皆からの助言を仰ごうと思いました。 「え?お店? ドイツ語を話せないのに? …お寿司屋さんやりたいの?」 その国の言葉が不十分な移民は、だいたい、 母国料理のレストランなどで働いていることが多いようです。 もちろんカタコトで働くのは、たぶん十分ではないけれど、 お客さんと話す内容がいつもだいたい同じで、 他の仕事よりは対応しやすそうな印象があります。 でも 「いやあ、経験ゼロの私なんかが握るお寿司でお金を頂くだなんて、できません。 お寿司屋はやりたくないです。」 そう否定したら、案の定、かなり唖然とされました。 みんなは論理的で合理的な人達なんで 「うーん……。」みたいな感じで、黙ってしまいました。 確かに、その反応は常識的にもっともでした。 私は基本的にパソコン1台と通信環境があれば成り立つ専門職です。 それに比べて、店舗経営だなんてリスクが高すぎるし、なのに利益率は低すぎる。 なにより、肝心なドイツ語ができない。 そんなの考える前から決まってる。それなのに、なぜやりたいんだ?? (;°皿°) なぜ今の仕事を捨ててそんな仕事をしたいのか、何一つ、理解不能のようでした。 しかも、 「素敵なお店が空き店舗になったんです♡ (人´∀`*)+゚:。*゚+」 というキッカケが原因だから、 私だって絶句してから「アホかー!!」とつっこむに違いありません。 結局、 まるで、「宇宙旅行してみたい。」と言ったかのように、流されて終わりました。 当然です。ははは。 確かにあまりにも非現実的なので、こっそり自力で調べることにしました。 それがドイツ語でだろうと、興味があるからがんばれます。 ドイツ語学習もできて一石二鳥です。 とりあえず、あの辺りの既存空き店舗物件は、 想像通り、一ヶ月当たりの金額は手が届く範囲に思える賃貸料でした。 よーし、可能性はまだある。 そう思いながら、それと同時に、 「もし本当に借りたら、本当にこのままドイツで暮らし続けることになるけど、いいの?」 などと、相反する気持ちもあって、自分の中でも矛盾していました。 回想している今思えば、 当時、「できない理由を探していた。」のかもしれません。 「これこれこういう仕方ない理由により、私にはできない。残念だ。」 だって、今までと変わらない日常を選ぶほうが、楽です。 だからやりたいことがあっても、できない理由を探すほうが、とりあえず楽なんです。 しかも、自分が問題じゃなくて「仕方ない」っていう理由が、自分に一番都合がいい。 大人になればなるほど、わりとそういう人は多いようです。 そういう事情も増えるのかもしれません。 自分に興味があることを、やり遂げた人がいたとしても、 「あの人は、特別だからできたんだ。」 「あの人は、才能があるからできるんだ。」 「あの人は、運が良かったからできたんだ。」云々。 誰かがそうして打ち消しているのを聞くと、 以前の私は、人ごとながら少し寂しい気持ちになっていました。 もしそのやりたいことが、死ぬような危険はなかったり、責任とれる範囲とかなら、 まずは挑戦してみたら?できるかどうか調べてみたら?自分が奇跡の数%かもよ?って。 (でも今は、何としてでも欲しい未来じゃないのなら、それでいいのかもしれない、と思ってます。 私は私、別の人には別の人生、事情も気持ちもそれぞれなんで、それぞれの選択です。) 元々はそういう信条だったはずなのに、何もかも思うようにいかなかった外国暮らしで、 そんな自分も少しずつ変わっていったようです。 自分の言い訳に納得して楽したい気持ちと、矛盾しながら戦い続けて、 お店屋さんをやりたい気持ちがとりあえず勝って、ゆるゆると模索し続けていました。 私は、どんな人間になりたいんだ? 少しずつコツコツ、いろんな可能性を調べながら、 あのかわいらしいお店の窓ガラスに、不動産の連絡先が貼られるのを待ちました。 そして地元の不動産情報も確認していました。 私が何度もその建物を確認するので、息子はその空き店舗のことを ごく自然に「ママのお店」と呼ぶようになりました。 (〃'∇'〃) 「今日もママのお店、見るの?」 悪い気はしません。 この空き店舗だらけの道で、借りたい気持ちがある私にとっては、 もうこれがすでに自分のお店のような気がしました。 目の前に立ちはだかる課題はそっちのけで、 童話のようなお店の前では、脳内童話が始まっていました。 こまめにそのお店をチェックしていたところ、 ある日、内装工事が始まりました。 床のタイルなども全部剥がして掘って、本格的に工事をしています。 なんだろう? 古い建物だから、この機会に暖房設備を良くしてから貸し出すのかなぁ……? ドイツの不動産事情なんて、よくわかんないなぁ…。床暖房かなぁ? 引き続き、お店の窓ガラスに連絡先が貼られるのを待ちました。 そして地元の不動産情報もこまめに確認していました。 ここは東京と違って全てがのんびりだけど、 それにしても、まだなのかなぁ。 内装工事がやっと終わって、 やっとそのお店の窓ガラスに貼られたものは 新しいお店の、大きなロゴシールでした。 ( ꒪ω꒪ )!!!!! ここが空き店舗ストリートだろうと、あのかわいい建物の価値がわかる人がいたらしく、 前のお店が閉店する前からなのか、それとも直後なのか、 とにかく閉店後に借り手を告知募集することなく、もう新しい借り手は決まっていたようです。 もしくは、私が知らなかっただけかもですけど、 特別な建物だから、空く前からずっと予約待ちだったとしても、当然のような気がしました。 そうして、私の小さな楽しみは、唐突に終わりました。 しかも、窓ガラスに貼られたロゴマークは、 建物に全く似合わないようなデザインでした。 そうじゃないのに、と心の中で勝手に思いました。 (;´Д`)=з 「ママのお店、なくなっちゃったね…。」 私の悲しい気持ちを感じ取ったのか、息子が即座に打ち消しました。 (〃'∇'〃) 「あります! ママのお店、あります!」 そうして、 どこかにあるはずの「ママのお店」を、 息子と一緒に探すことにしました。 「ママのお店、どこかな? ここかな!?」 幼児と一緒に、街の空き店舗を見てまわるという、わけのわからない散歩。 そうして見ていると、どこのお店が無くなった、とか、 どこのどのくらいの面積の物件が、どのくらいの期間で埋まって、 どういう種類の新しいお店が始まったのか、少しわかるようになりました。 店舗面積が拡大していく人気店と、そうじゃないお店。 東京の常識では考えられない広告の打ち方や、お店のルール。 スタッフの数。営業日、営業時間。 いろんなことを注意深く見ていました。 そうしているうちに、他の現実的困難や、自分も病に倒れるなどして、 私のアン・シャーリー的な頭の中でさえも 「ママのお店」がただの空想として風化していく中で、 ある人から突然、良い話が舞い込んだのでした。 思えば、ことの発端のひとつは、 あのステキで不思議なお店の存在です。 それはもう、ずいぶん前のことです。 時々、わたしたちが通る道には それはそれはかわいらしいお店がありました。 外国の絵本や児童文学に出てくるかのような建物です。 古びているけれど艶やかで重厚な木製の扉。 細工が美しい欧州アンティークのドアの取っ手。 強い日差しでペンキが少し白みがかった木製の鎧戸。 たくさん窓があって、鎧戸がついた窓がいくつも並んでいます。 ああ、なんて、なんて、かわいいんだ! (*´ェ`*)…♥” 童話に出てくるものが、本物が、目の前にあるよ! どうしてその建物が私に特別な存在なのか、ちょっと考えました。 このあたりでは冬の寒さがかなり厳しいから、大きなガラス窓がある家や店舗は 暖房や二重ガラスで防寒対策がしっかりしている近代建築物ばかりですけど、 たぶんこんな古いタイプの建築物で、 正面のガラスを大きくとって、窓がいくつもあって、 室内が自然光だけで明るいのは、珍しいからだと思います。 特別な建物のお店。 外からその姿を眺めるだけで幸せでした。 お店の中に入る勇気が出るまで、時間がかかりました。 というのも、このあたりの小さいお店は、店員さんが絶対必ず話しかけてくるからです。 ほとんどの店員さんが「お客様の欲しい商品は、私がすぐにご用意いたします。」みたいな プロフェッショナルな雰囲気で、その要望に見合う商品が無ければ 「それはありません。」と即答されて、 日本人的には、もう帰らなくちゃいけない空気がヒリヒリします。 勇気を出して店内に入ると、店内も想像通りにかわいらしく、 すてきな商品が並んでいました。 ドイツ人だと思っていた店員さんは、 フィンランド女性でした。 「ドイツ語は簡単よ!フィンランド語のほうが難しいわよ!」 「えええ!マジですか!」 そんなたわいない世間話をして、 私は絶対フィンランド語を勉強しないぞ、と心の中で誓いました。 珍しいアジア顔なせいか、うちの息子をとってもかわいく思ったらしく、 彼女は商品棚から、売り物として並んでいた小さな石鹸をくれました。 小さな息子の手に、小鳥の姿をした小さな石鹸。 あれっと不思議に思いました。 小さいけど特別な石鹸で、安いものではなかったので、いいの?と。 田舎だから、道を行き来する人も少なくて このあたりのお店屋さんは、どうして経営が成り立ってるのだろう?などと もともと不思議だったくらいなのに、 ここは店内の商品棚さえもかなり空きがある品揃えで、さらにプレゼント。 じゃあやっぱり何か買ったほうがいいかなと見回したけれど、 何かここで買いたくても、買いにくい物が多かったのでちょっと弱りました。 不思議だなぁ。 なんで経営が成り立つんだろう? つくづく不思議なお店だけれども、店内に入っても大丈夫なことがわかって、 外から眺めるだけでなく、それから何度か店内に入ってみました。 ああやっぱり店内もすてき! なんてすてきなんだろう。 でも不思議だ。 しばらく行けない日が続いた後、 いつものようにそのお店を眺めにその道を通ったら、 什器が全て撤去されて、店内はがらんどうになっていました。 閉店しちゃった!! (llʘิДʘิll) まわりは空き店舗ばかりです。 あの小鳥の石鹸の時から、 こうなる予感を無意識でボンヤリ感じていたことに がらんどうになった店内を窓の外から見て気がつきました。 店じまいが近いから、プレゼントしてくれたのかなぁ…。 あの不思議なお店がなくなってしまって、 楽しみがひとつ減ってしまって、本当に残念でした。 この古いお店…… どうなっちゃうんだろう。 (;ε; ) 現地の人には古い価値がわからなかったのか、 変に現代的に改築されてしまって 成れの果てとなった建物も見たことがあります。 せっかくこんなかわいい童話みたいなのに、 ここ、どうなるんだろう? じゃあ、私が借りられないかしら? (・∀・)は? ここで私、お店屋さんができないかしら…? いやいやいや、ドイツ語さえ話せないのに、そんなの無理すぎるでしょう? この近隣の、プロフェッショナルな店員さんたちを考えてごらんよ自分。 お客さんが欲しい物の、単語さえ理解できないでしょう? 自分に心の中でツッコミして、うなだれました。 なにせ、周りは空き店舗ばかりの立地です。 ドイツ人だって継続が難しいはずです。 いや、でも、そんな物件なら、私でも借りられるかもよ? いや、ダメだダメだ、いくらなんでも非現実的すぎる。 唇を噛みました。 ううん、そうじゃなくて、じゃあ現実的に、考えてみよう。 こんな自分にもできることがないか、ちゃんと調べてから決めよう。 そもそも認可とか、ここの法律とかその辺りどうなのよ? ちゃんと調べて、判断材料を揃えてから納得しよう。 がらんどうになった、その童話のようなお店を眺めながら、そう決断しました。 そうして、 恐ろしく非現実的な模索を、その時から始めました。 その紆余曲折いろいろあったことを、ここに少しずつ書いていきます。 一度きりの人生、やりたいことをやろう。 私は自分のこの毎日を、他の誰に強制されたのでもなく、 自分で選んで、自分に許諾を出して決めてるんだ、って、今とてもそう思います。 あとがき
ブログ記事のコメントやメールなど、みんな全てありがとうございます。 お礼のお返事が平坦な文章にならずにどう書いたらいいのかいいのか迷ってしまって、 いつも返信を書けずにいますが、いつも全部とっても感謝しています。 私がつい書けてしまう「そうじゃなくて違うんです〜」系ばかりだったお返事のせいなのか、 だんだん反応してもらえないような感じになっていたので、 あ、まだ楽しんでくれてる人がいてくださるんだ、って安心しました。 ドイツの祝日により、息子の学校がずーっと休暇だったので、 復活宣言(?)からまた日があいちゃいましたが、コツコツ更新していきます。 書きたい事がいっぱいです。ではまた! |
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AuthorAlpenHausfrau Heidi ■免責事項 当サイトに掲載された記事情報及び意見や見解は、個人の感想レベルであり、その内容について何ら保証しません。情報の間違いなどに対して一切の責任を負いませんのでご了承下さい。 Archives
7 月 2020
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